江戸時代の新婚生活。想像すると、セックスレス気味の現代よりも夫婦が仲睦まじかったのではないかと思われます。長時間労働や満員電車、ネット浸りで体力を消耗することもなく、夜になってもエネルギーが余っています。住環境にしても、薄明かりで肌のアラも見えず、蛍光灯よりもムーディで、冬などは木造で寒くて身を寄せ合うしかありません。
川柳を読むと、当時の若妻の初々しさが現れていて、きっと夫にもかわいがられていたことでしょう。新婚のことは「新世帯」と呼ばれていました。
「よりたまへあがりなんとしあら世帯」
昼が近くなってもまだ寝ている夫婦が、しとねから「寄りたまへ」と、訪ねてくれたけれど気を使って帰ろうとしている友人を引き止めています。
「あら世帯たたみのうへでみそを摺り」
「あら世帯夜具に屏風を立廻し」
まだ生活用具が揃っておらず、布団の周りを屏風で囲っています。それも雰囲気ありますが......。
「尺八にむねのおどろくあら世帯」
唐突な尺八というワードがシュールですが、当時は不倫に虚無僧が関わってくるという、ちょっと怖い風習がありました。
「あら世帯同じこもそう二人来る」
「あら世帯門にこもそう手をつくし」
妻を取られて怒った元夫が虚無僧に扮して、新しい男との新世帯を探し歩きます。当時、他人の女房と駆け落ちしたら、二人を切り捨てても構わなかったそうです。二人は毎日虚無僧の影に怯えて暮らすことに......。尺八の音色が、元夫の恨みつらみを乗せて、物悲しく響きます。
「本店へ出入のならぬあら世帯」
「母らしい人のたづねるあら世帯」
こちらも訳ありの、駆け落ちしてきた風の新世帯の句です。
「新世帯こわらしい手になりんした」
水仕事をしたことがない遊女と結婚したことをほのめかしています。
「新世帯まだばちだこのある小指」
三味線を弾いていた人は右手にバチだこができるそうで、こちらは花柳界の女性だと推察されます。奥さんの氏素性について、さり気なく川柳で噂する......油断できない世の中です。
嫁姑関係も、まだ姑さんも若いので、敵対心が燃え上がりやすかったようです。
「気に入れば気にいったとて気にいらず」
息子が気に入った女性だと思うと、何につけても気に入りません。
「談義場で嫁の仕打ちを交易し」
談義場というのはお寺で僧侶の説法を聞く場所のこと。邪念を浄化する場所なのに毒気を振りまいています。
「一から六まで嫁をいふあみだ也」
江戸近郊の六ヶ所の阿弥陀様を巡る「六阿弥陀」という風習があったのですが、歩きながらも女たちは嫁の悪口を言いまくります。阿弥陀様の霊験パワーも届きません。
新妻も、ボロを出さないように緊張の日々でした。
「来た当座よめひれふすにかかってる」
とりあえず頭を下げまくる妻。口答えとかせずとにかく頭を下げれば良いらしい、と後学のために覚えておきます。
「来た当座もしの出かねる花嫁子」
「花嫁のうちはもしへで間に合はせ」
夫を「あなた」と呼ぶのが恥ずかしく「もし」と呼ぶ妻。「もし......」と丁寧に呼ぶのは現代でも奥ゆかしくて好印象かもしれません。
「唇へさわらぬよふに嫁はたべ」
「花嫁は飯を数へるやうに喰い」
食べ方にも気を使い、米も数粒ずつ、お上品に食べていました。今よりも、一緒に食事をすることへの羞恥心が強かったのでしょう。
「糸を巻くやうに花嫁もちを喰い」
「卯の花を散さぬやうに嫁は喰ひ」
江戸時代の新妻は餅を噛んでちぎったりせず、糸を巻くように細くして切っていたというのが衝撃です。現代の夫婦は普通に咀嚼音を響かせていますが、江戸時代にはあり得ないことだったのでしょう。
「ぶっかけを花嫁片手ついて食ひ」
お蕎麦は床にじかに置いて食べる風習だったので、こんな無理な体勢になってしまいますがそこはかとなくエロスが漂います。
「誰も見ぬ時に大口によめは喰ひ」
夫の前では、食べ方がお上品だった妻も、一人になったら大口で食べまくります。
そして夫の前ではボサボサ・すっぴん状態を見せず、ちゃんと髪も整えるのが江戸のプロ新妻。
「ざっとたばねやしょうと嫁小半時」
「嫁の髪巳午の間にやっと出来」
髪を結うのにも一時間かかり、遅い時は11時に仕上がるなんてことも......。
「嫁も出て会ふやらたんす明ける音」
来客があると急いで支度する新妻。
「五六度覗いて嫁の夕すずみ」
「夕すずみ嫁の出るのはごく暑也」
夕涼みをしたくても近所の目が気になり、誰もいない頃を見はからってそっと出ていきます。当時から日本人の空気を読む能力が発揮されていたようです。
「行水におたいさうなと姑いひ」
行水する時は、屏風などでがっちりガードして外から見られないように気を使いました。あまりの厳重さに姑が呆れている情景を描いた句です。
「ぬかぶくろ嫁調合をしては詰め」
入浴時には、糠を袋に詰めて体を洗ったそうで、エコだしツルツルになりそうです。
「花嫁は歯にきぬきせて笑ふ也」
「泣くやうに袖で隠して嫁わらひ」
笑う時は、歯を見せずに袖で隠していました。など、数々のエピソードを知るにつれ、現代よりも女子力が格段に高いです。結婚したら江戸女子を見習うべきかもしれません。
さらに人が集まる酒席などでは、お琴や三味線などの一芸も要求されていました。
「おねがひが御座るは嫁の琴と見へ」
「六七人にせめられて嫁はじめ」
六七を足して琴の十三弦を表している句です。
「花嫁にばちをあてがうゑゑきげん」
「ひくばかりならと花嫁三をかけ」
三味線、という場合もありました。余興で琴か三味線が弾けないとならないとはハードルが高すぎです。それなら客など呼ばないで引きこもりたくなってしまいます。それ以前に結婚できません。日本人のおもてなしは、各家庭でもこんなにレベルが高かったとは......。
そんな江戸女子が何より気を使ったのは、シモ関係でした。
「なりったけ嫁小便を細くする」
トイレの音が漏れないように、細く出します。この、日々の調節が、名器を育むという一面も......。
「屁をひって嫁は雪隠出にくがり」
「花嫁は一つひっても命がけ」
「ブイとひり嫁自害でもする気なり」
おならを夫に聞かれてしまったショックで茫然自失の妻。完璧に振る舞っていたのに、少しの肛門のゆるみで台無しです。
「嫁てうずいともやさしきおならの音」
「嫁の屁は精一杯で胡弓の音」
それでも、どこか音に恥じらいというかかわいらしさが漂っています。
「嫁の屁を聞いたものは長者になる」
めったにない体験をすると長者になれる、という当時の俗信にちなんでいます。嫁のおならはそれほど希少価値が高かったのでしょう。マニア的な視点も感じる句です。
「嫁の屁が五臓六腑にまよって居」
おならをしたくても、出せないで内臓に溜め込む新妻も。毒素を吸収することになって体に悪いです。
「へのぬしが出て花嫁はあんどなり」
別におならをした人が出てくれば一安心です。それにしても、おならに関する川柳が数多く、江戸時代の人も下ネタ好きのようです。
江戸時代の妻はおしとやかで奥ゆかしいのですが、昼は聖女、夜は娼婦的にキャラが変わっていたようです。
「新世帯隣ではもふ椀の音」
「隣から戸を叩かれる新世帯」
夜、励んでいたため寝坊したり、隣から注意されるくらい激しくいたしていたり、かなり旺盛です。
庚申(かのへさる)の日は性交してはいけない、という当時の禁忌にも逆らっていました。(この日宿った子は将来盗人になるという迷信が)
「庚申をうるさく思う新世帯」
「庚申にお仕事をする新世帯」
と、構わずに交合する新婚夫婦。仲が良いのはいいことです。
など、当時の川柳には、どうやったら夫婦がいつまでもラブラブでいられるか、夫に飽きられないか、女性にとってのヒントがたくさん書かれているようです。しかしできそうでできない、レベルの高さに畏れ入りました。とりあえず、何か楽器を始めるところから......。
2016年3月アーカイブ
19、「風流四季哥仙 五月雨」鈴木春信 明和5年頃
雨が降る中、二人で傘を持ちながら湯屋の行き帰りであろう。傘を少しつぼめた女の子と言葉を交わしている。まん中で、右手に浴衣を持ち、肩に手拭を掛けている女性は、帯を前で結んでいる。髪型は、島田髷なのかはっきりしないが、
そして、傘を少しつぼめた女の子は、島田髷を結っているので、たぶん12~13歳くらいであろう。肩には、手拭を掛けている。足元を見ると三人とも、違った下駄を履いている。年齢や職業などで履くものが違っていたのかもしれない。右端の格子のところに「明日休」という札が見えている。湯屋の札であろう。
ところで、この絵が描かれたのは、明和5年頃であるが、この三人、髪型の髱の部分が、既に引きつめられている。この時期はまだ、髱が後ろに長く伸びて、それが反り返った鷗髱や鶺鴒髱というのが流行していたはずである。というのは、この絵が描かれた約10年後の、安永8年に出された阿部玉腕子の『当世かもじ雛形』には、まだ鷗髱や鶺鴒髱といったような、後ろに出ている髱も描かれている。ただし、この『当世かもじ雛形』には、引きつめられた髱も多数あり、安永8年前後が髱の流行から鬢が流行する移行期と考えていたが、この絵を見る限り、明和の5年頃から、髱を引きつめることが流行していたということなのかもしれない。
横なぐりの雨が降っている。たぶん着物にも雨が降り注いでいるのだろうが、女性たちの表情には、困ったという顔にはなっていない。ちょっととした立ち話が楽しいのかもしれない。
ちなみに、上部の雲形の中の和歌は「ふりすさふとたへはあれと五月雨の雲ははれ間も見へぬ空かな」と書かれている。
20、「湯屋へ行く美人」歌川豊国 寛政頃(1789~1801)
タイトルにあるように、湯屋に行く美人で、髪型が三つ輪髷のようにも見える。そうであれば、口元を見るとお歯黒をしているので、お妾かもしれない。鼈甲のような櫛、簪を挿して、髱は流行の燈篭鬢であろう。鬢挿しが透けて見えている。左手に浴衣を持って、肩には赤い糠袋が付いた手拭、右手は
歩いているのは海辺で、沖にはたくさんの船が停泊している。少し風があるのか、鬢の髪が乱れている。この絵の書かれた寛政頃は、女性の髪型で見ると、髷が大きくなったのが特徴で、元禄頃に流行った大島田といった名称の髷が流行し、勝山髷も大勝山といった髪型が登場している。襦袢の裾と手首から見えている袖口の赤が、この女性の色気を演出している。
※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。