13、花魁 女房 芸者 二代歌川豊国 文政~天保(1818~44)頃
有職紋が織られた白地の衣装を四枚重ねて着ているのは八朔姿の花魁であろう。前帯びには雲竜が描かれている。麻地模様の赤い下着が鮮やかさを増している。全盛の花魁であろう、髪は大きな横兵庫で、鼈甲で出来た豪華な菊花模様の簪を左右各6本挿し、櫛2枚挿したその後ろには長い笄が見えている。口元は小さいが、お歯黒をしているのが見える。
また、その右にいるのは、町方の女房で、髪は割鹿子であろう。髷を左右に割って長い笄を通している。櫛は蒔絵に珊瑚が嵌め込んであり、鬢の部分に斜めに挿してある。風呂帰りか、着ているのは浴衣で袖をたくし上げ、手にしている着物には黒衿が付いている。たぶん、それまで着ていたものだろう。左手には手拭が見えている。顔を見ると眉なしで、お歯黒をしている。耳にかかる髪が透けている。胸がはだけ、いかにもリラックスした様子は町方の女房といったところである。
下で座っているのは芸者で、右手に持っているのは熊手である。黒地の着物には、ねじ梅の五つ紋、裾には鉄線唐草が描かれている。よく見ると簪もねじ梅である。さらに凝ったところは、中着の模様で、利休梅と小さな梅が一緒に描かれているところである。目立たないところに気を配っている。帯びは縞模様で右手の辺りに見えているのは、帯に挟んだ懐紙入れである。
髪型は若い女性の結う島田髷の燈籠鬢のようにも見える。化粧を見ると、芸者は基本的に眉を剃らず、お歯黒をしなかったので、白歯である。このように身分、階級、未・既婚の違いで、着ているものや髪型、化粧の違いが分るのが浮世絵の楽しいところであるが、文政頃には廃れたと思われる燈籠鬢を結う女性が、まだいたのであろうか。そういったことを考えるのも面白い。
14、女三題 溪斎英泉 文政4~5年(1821~22)頃
こちらの女性三人は、右から富裕な家の娘、まん中は御殿女中、左は芸者であろうか。富裕な家の娘は、根の高い大きな島田髷に赤い手柄を巻いている。櫛はなく、前髪を括った赤い絞りの布が愛くるしい。前髪の上にびらびら簪、両サイドに挿してある簪には挿しぬきの桜が付いている。着物は市松模様になっているが、真っ赤な中着が若さを演出している。右手には琴の爪を付けているところをみると、なにか曲を弾いていたのかもしれない。まだ15歳~16歳くらいであろう。白歯で眉も剃っていない。ただし、口紅は流行の笹色紅である。
真ん中の御殿女中は、眉なしで笹色紅、お歯黒もしている。髪型は御殿女中の代名詞にもなっている「片はづし」で、櫛は挿さない。位の高い御殿女中は、基本的には一生奉公なので、結婚したしるしのお歯黒をして、眉も剃るのである。
下にいる芸者を見ているのか、手には扇子を持ち、帯に懐紙入れを挟んでいる。着物は地味に見えるが、格調高い唐草模様に菊の五つ紋、帯はこれも唐花模様のようにも見える。
左の芸者は潰し島田に大きな鼈甲風の櫛と笄を挿している。簪は八重裏梅の模様が付いている。盃を持っているところと、髪がほつれているところを見ると、ほろ酔い酒というところであろう。地味な縞の着物、赤い襦袢の白い衿には蝶が描かれ、ちらっと洒落た感じを演出している。向き合う富裕な娘と御殿女中を相手に、酒の勢いもあるのか、一歩も引かない芸者の心意気のようなものを感じる。
富裕な娘の下に書かれている文句は、山東京伝の弟で『歴世女装考』を書いた山東京山である。「つぼすみれつぼみし花の色はまだ人にゆるさぬ紫の上」ういういしい娘の姿を源氏物語の紫の上にたとえているのだろう。
御殿女中の歌は狂歌師の狂歌堂・四方の真顔である。「この小町男ひでりの雨乞いにぬれんとてこそ御代参すれ」御殿奉公の女性たちは、代参の帰りに芝居見物などで男性との出会いを期待しているのではないか。そんな心情を書いたのであろう。その手の歌は川柳にもよく登場している。
芸者の歌は、狂歌師の六樹園こと宿屋飯盛が書いたもので「そみせんはやめて手にとるさかづきのあひも袖をひかるゝぞうき」とある。三味線を弾くのをやめて盃をとるその間にも、袖を引く男がいるのが煩わしい、ということらしい
これまで紹介してきた浮世絵類は、すべて原宿にある太田記念美術館の所蔵作品である。今回ご紹介するものも、太田記念美術館所蔵の肉筆浮世絵で、「花魁・女房・芸者」もこの「女三題」も、肌の白さや紅(笹色紅)の鮮やかさ、髪の質感などがよく分って、いつ見ても、何度見ても飽きない。贅沢なひと時である。
※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。
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