第13回 江戸時代の見合

 江戸時代の婚活、お見合の項目について書こうとしたらところ、ショッキングな事実が。「江戸時代は男子は二十前後、女子は十五から二十才くらいで、結婚するのが通例であった」早いとは思っていましたが、十五とは......。下手すると三十代で祖母です。(結婚して家庭を作ることだけが幸せだとは思いませんが)現代の晩婚化と対照的な江戸時代の早婚の裏には、仲人さんの暗躍があったようです。
「十分の一取るにおろかな舌はなし」
という川柳には饒舌な仲人の姿が書かれていますが、仲人は婚姻が成立すると結納金の十分の一をもらえたとか。現代も素人が仲人をしてお金をどんどん稼げる仕組みができれば結婚する人が増えるかもしれません。
「四百づつ両方へうる仲人口」
結納金は四千文なので四百文入ると言う皮算用。今のお金で数万円くらいでしょうか。
「嫁の年すてがねほどは嘘をつき」
 成立させるためには嘘をつくこともある仲人。当時、時刻を知らせる鐘をつく前に、三つほど捨て鐘をつく風習があったそうで......三歳ほどサバをよんだのでしょうか。
「相性は聞きたし年は隠したし」
やはり若さが重要のようで、現実は厳しいです。
「言ひ出して大事の娘寄りつかず」
「なぜでもの娘かならず隣あり」
 せっかく縁談が来ても浮かない顔の娘は、隣近所に別に男がいる可能性が......。当時は恋愛結婚ではなく見合が主流でした。見合話が来ると、とくに男性側が女性の容姿を気にしてあらかじめチェックすることも。
「あらかじめ見てから呼ぶのが今の風」
女性側もなんとなく察して入念にお化粧していました。
「見にくるもしれぬと顔へへげるほど」
「見にくるかくるかと日々あらたなり」
しかし男性側はできるだけ素の状態を知りたくて、天蓋をかぶって虚無僧の変装までしたり雨宿りの体で軒下らから覗き見たりします。
「てんがいで嫁を見に行くおもしろさ」
「娘見に来たとも見えず雨やどり」
現代は合コンで仕上がった状態で出会って、あとですっぴんを見て騙された、という風になりかねませんが、江戸時代の男性の方が女性のチェックが厳しかったようです。
「見合ふのを出合と言ってしかられる」
 出合とは、出会い系的な肉体重視の男女の密会。似ていますが言い間違えると誤解を生みます。見合は健康的に、神社やお寺の境内の水茶屋で行われました。ちょっと前に、庭園の水茶屋に行きましたが、年齢層が高くとても出会える感じはしなかったですが......当時は先端スポットだったのでしょう。
「水茶やは目出たい銭を二百とり」
ここでもまた金目......。江戸時代の結婚利権は大きいです。
「隣へはまづ観音と言って置き」
「はづかしいものさと母は先へ立つ」 
近所で噂にならないよう、いそいそと水茶屋へ赴く母娘。
「一生の身のかたづきを茶できめる」
「水茶屋へ行く日美つくし善つくし」
「そらっ茶を飲み飲み見たり見られたり」
うぶな娘さんが緊張してお茶の味もわからなくなっている姿が目に浮かびます。
「鼻が低いのと茶を飲みながらいひ」
たぶん男性側を書いた句でしょうか。外見チェックにいちいち余念ありません。
「水茶屋の娘がよいでわるく見へ」
これは懸念していた事態です。当時、谷中や上野、浅草の有名な水茶屋には美人の看板娘がいたそうで......。女性のテンションは下がるし、男性は見比べてしまうし、いいことないです。以前、表参道のカフェのお見合いイベントをやっているところに通りかかったら、イケメンゲストが来場していて、誰得......と思った記憶がよみがえりました。
「仲人の見立てる茶屋は婆々なり」
それが成就のためには賢明な判断でしょう。
「気に入ったそうで見合も茶を奢る」
見合が成立したら気前よくお金を出したくなるのが人の性。
ちなみに縁談不成立の場合は......
「あれならいやと飲みかけた茶をこぼし」
「気に入らぬ方が水茶屋はやく立ち」
と、ストレートに言動に表す江戸人。お茶をこぼされた方は精神的ダメージ大です。
裕福な家庭は芝居見物に絡めて劇場で見合したそうです。
「見たり見せたりで一両十匁」
「よい息子隣桟敷によい娘」
「恥しさその日の芝居身にならず」
「対面で娘は見たり見られたり」
芝居の途中で帰るのも、見合不成立のサイン。
「いもがあるいやと一幕切りで立ち」
「いも」は疱瘡の跡。ルックスにこだわりつづける江戸男子......。
「東西の寺であばたを選り残し」という句もありました。東西とは、東本願寺や西本願寺を表します。親鸞上人の忌日「お講」には男女が集い、出会いのスポットとなっていました。それにしても、あばたで結婚できないとは切ないです。今みたいに、コンシーラーやBBクリーム、各種美容治療がないので、消す手だてがなかったのでしょう。
 とはいえ男性側も油断できません。仲人が見合の時は当て馬に器量の良い女子を連れて行き、婚姻の時差し替えるという荒技もあったそうです。
「瓜に茶をのませへちまと引かへる」
「瓜さねを見せてかぼちゃと取かへる」
瓜は美女、カボチャは不美人を表します。
「見ましたは細おもてだともめる也」
「似せ首に綿をかぶせてやかましい」
 見合のあとに、婚礼の場で会っても女性は綿帽子をかぶっていて顔がよく見えず、初夜ではじめてじっくり対面。ルックスがいまいちでも、もう時既に遅しです。そうやって強引な手段で男女をくっつけていた仲人さんの手腕のおかげで、後世の子孫である私たちが存在できているのだと思うと、感謝の念がわきあがります。ルックスにこだわる江戸男子の遺伝子が今も引き継がれているような気もしますが......。

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