2015年7月アーカイブ

 清楚系、ビッチ系、天然系、ゆるふわ系......今の女子を呼び表す言葉は様々です。江戸時代はどんな風に女子をジャンル分けしていたのでしょう。
  まず、挙げられるのは語感が奥ゆかしい、
1 きむすめ
 です。まだ色気づいていない固い蕾のような処女。無防備さが魅力です。
 川柳も残っています。
 「生娘を口説いた面にみみずばれ」
 口説くというか、手込めにしようとしたのでしょうか。平手打ちする本能的な動きが生娘っぽいです。
「生娘は香々がありがあり食ひ」
漬物をガリガリと音を立てて食べる、全く男性を意識していない様子が目に見えるようです。
 江戸時代にはきむすめを「木娘」とも書きました。まだ男性を知らない少女の痩せた体が枝のように骨張っているのを表しているのでしょう。
「木娘も文字で覚えた恋の道」
「きむすめは帯をほどいてさがす也」
 人前でも平気で帯をとく姿。男性の目を意識していない女子校の光景のようです。
「生娘は枝も葉もなき姿也」
 もしかしてまだ発毛していないという意味でしょうか。川柳は時に生々しいです。
 木娘と同じような意味で
2 きぞう
 と言い表されるタイプもいます。「木像」「木造」「木蔵」と書くそうで、さらにガチガチにこわばっている印象です。
「引きはいで起こす娘は木ぞう也」
 布団を引きはがされて起こされても気にしない無頓着な娘。
「根っからのきぞうゆもじが嫌ひ也」
 湯文字とは下着の一種。面倒くさかったり締め付けるのがイヤで下着無しで過ごしています。まだ羞恥心が芽生えていないのでしょう。
3 おぼこ
 こちらは「生娘」と同じように今でもたまに使われます。語源はうぶこ(産子)から来ていて、ピュアな少女を表します。
「おぼこだと思った娘いつかとど」
 江戸時代の人は発毛ネタがお好きです。ボラの幼名のこともおぼこと言い、成長して毛が生えた成魚をとどと呼びます。
「泥水へおぼこ沈めるむごい親」
 泥水とは、遊郭のこと。「ソープに沈める」みたいな言い方は古くからあるようです。
4 おむく
 処女系に分類される呼び名がこれほど多いとは......。江戸時代にも処女幻想はあったのでしょうか? おむくは言葉通り無垢で純真で肉体的に未通です。
「そしておむくと仲人はそらっこと」
 本当はどうかわかりませんが、仲人が娘をおぼこだと言って売り込んでいる様子です。江戸時代はもしかしたら処女の数が少なくて希少性があったから、ブランド化していたのかもしれません。細かくジャンル分けされているのも納得です。
5 おむす
 娘の略称がおむす、むすなど。とくに何にも分類されないふつうの娘ということでしょうか。
「とく心のむすうふふんと笑ふ也」
 異性関係でいいことがあり、得心した娘が嬉しそうに笑う姿を詠んだ句です。
6 おちゃっぴい
 かつて下ネタ充実の女性雑誌で『おちゃっぴー』というものがありましたがまさかこの語源が1700年代にまでさかのぼるとは。当時の流行語で、小生意気で大人をやり込めようとする少女を表したそうです。
「おちゃっぴいはさみ将棋がたっしゃ也」
「おちゃっぴい鼻の穴から煙をふき」
 大人の遊戯である将棋をやったりタバコを吸ったりと、ませているおちゃっぴい。でも、基本的に処女という属性です。
「おちゃっぴい湯番のおやぢ言ひまかし」
裸をからかわれて反撃。もしかしてまた毛が生えてないとか言われたのでしょうか。
「おちゃっぴいに限りいづれも丸顔」
大人ぶっても顔立ちは子どもという、生意気キャラとの相乗効果でおじさんにモテそうです。
「よしねへと前を合せるおちゃっぴい」
「おちゃっぴい馬鹿馬鹿と逃げてゆき」
 いざ男性に押し倒されそうになると、はねのけて敏捷な小動物のように逃げて行くおちゃっぴい。
「おちゃっぴい少しまくってあかんべい」
 でも、走り去りながらもあかんべーして見せる可愛げがあります。おちゃっぴいに関する川柳は多数あり、当時の萌え度No,1だったのかもしれません。処女というのが高ポイント。いっぽうで、もう男を知ってそうな浮気娘は
7 はすは
 はすっぱとも言われ、今でも使われています。江戸時代の書物で「立居ふるまひ賎しく、はづかしげなき女」とまで言われているのでビッチ系でしょうか。
「とこ代ははすはな女払ふ也」
 とこ代はラブホ代のようなもの。上野不忍池に男女がしけこむ茶屋がありました。今ではリアルに蓮の葉まみれの池に......。
8 てんば
 おてんばとは今でもふつうに使われます。元気いっぱいみたいな意味ですが江戸時代には、気が多い女、軽はずみな女などを表しました。
「おてんばの尻へさわってはねられる」
 なんとなくお尻を触りたくなるスキがあるのでしょうか。
「ちょぼくれにうつつをぬかすてんば下女」
「下銭でちょぼくれを聞くてんば下女」
 ちょぼくれは、「願人坊主」とも言われる江戸時代の大道芸人兼お坊さんです。謎かけや歌や踊り、お経などと引き換えに小銭を乞いていました。現代でもお坊さんがバラエティ番組に出て人気になったりしますが、お坊さんと芸能は相性が良いのかもしれません。おてんば娘はミーハー気質でもありました。
9 きゃん
 こちらは「はすは」とも通じ、男勝りだけれど性的なことにも興味津々な娘のことです。
「小侍きゃんなはしたにかぶせられ」
はした、下女がとにかくエロくて、少年侍を襲い女性上位で......という句です。
「きゃんな下女尻を叩くとくらいつき」
尻を叩くと喜んで身を任せるきゃんな娘。
「きゃん娘あれは其のはず戌のとし」
犬並に多産、とまで言われています。はすはよりもビッチ系です。
10 箱入り娘
 大切に育てられた深窓の令嬢。こちらも歴史が長い言葉です。
「箱入になって蛙へ遠ざかり」
 家に幽閉されたようになっていて、蛙の声を聞くこともありません。
「箱入がまた百人を箱に入れ」
 箱入り娘の唯一の娯楽らしいことといえば、百人一首で遊ぶこと。
「箱入の娘さえ出る雛の市」
 久しぶりに家から出て、雛人形を買いに出かけた箱入り娘。百人一首といい雛人形といい箱にしまうものに縁があります。でもその箱も男性によってこじ開けられる時が......。
「箱入を隣の息子封を切り」
また、箱の中に悪い虫、使用人とできてしまうこともあります。
「箱入にすれば内にて虫がつき」
「いてふの葉入れて置かれぬ娘の子」
虫除けに効果があるとされる銀杏の葉も効きません。女子はいつか大人への門をくぐるのです。
11 びいどろ
 ここまでの言葉は現代に通じる部分がありましたが「びいどろ」に関しては想定外の意味でした。びいどろはガラスのことで透き通るように美しい美女を表し、硝子と書きます。
「硝子を落としてはわるいい男」
「硝子も割りてによれば手が切れず」
「硝子もわれると跡は水いらず」
「硝子を割る」は処女を奪うという意味でした。しかも美人の。
「硝子のやうだから母あぶながり」
「硝子でなくても母はあぶながり」
 かわいい娘の貞操を案じる母心。
「硝子は母のめがねに合ぬ也」
 いっぽうで息子の嫁が美人すぎると警戒する姑心。
 結局どのジャンルの女子にもメリットとデメリットがあります。無難なのは、ただの「おむす」かもしれません。いつの時代もふつうが一番です。

【第10回】江戸時代の女子の分類.pg.jpg

   

9、浮世四拾八手 ひいきをたのしみにみる手 溪斎英泉 文政4~5年(1821~1822)

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 女髪結が、若い女性の島田髷を元結(もとゆい)で縛(しば)っているところで、元結の縛ったところにつばをつけて湿らせ、結び目が緩(ゆる)まないように力を込めている。元結は、紙を撚(よ)って紙縒(こより)のようにしたもの。紙縒と違うところは、紙に糊をつけたところであろう。なので、結び目をほどくときは鋏で切るしかなく、1回しか使えないところが難点かもしれない。使い回しができないのである。
 髪を結ってもらっているのは、遊女か芸者であろう。女髪結に贔屓(ひいき)といわれるのは、いつも髪を結うのを頼んでいるからであろう。一般庶民の娘には、それだけの余裕もないはずである。髪型は、前述したように、未婚女性の結う島田髷。両手に持っているのは、髷のところに掛ける手柄(てがら)であろう。この手柄を掛けると、島田髷でも「結綿(ゆいわた)」という名称になる。着物は蝶模様で、襦袢の襟なのか、梅に観世水(かんぜみず)が描かれている。
 左手の小指にからませ、右手でも元結を掴んでいる女髪結は、お歯黒をして薄い青眉である。たぶん子持ちであろう。髪型は既婚女性の結う丸髷。商売道具の髱寄(たぼよ)せという櫛を前髪に挿し、左の鬢の辺りに赤い飾り櫛を挿している。自分のお洒落にも気を使っているのか、よく見ると桜の花の両天簪(りょうてんかんざし)と琴柱形(ことじがた)の簪も挿している。着物は菖蒲の花模様。襦袢の襟は竜田川模様になっている。
 江戸時代の女性たちは、自分の髪は自分で結うのが当たりまえであったが、時代によっては、髪型が技巧的になり、自分では結えないような形もあった。その時は、身内のものとか、女髪結に頼まざるを得なかった。例えば、鈴木春信が描いた浮世絵に登場する鶺鴒髱(せきれいたぼ)〔髱が上に反り返った形〕や、喜多川歌麿が描いた燈籠鬢(とうろうびん)〔鬢が薄く透けて見えた〕などもそうであろう。美しくなるためには、人の手も借りなければならない。その分、費用も掛かるということである。
 若い娘は、出来上がっていく島田髷をじっと見ている。手柄を掛けて、簪を挿して出来上がるのを想像しているのかもしれない。


10、当世好物八契(とうせいこうぶつはつけい) 三味線(しゃみせん) 溪斎英泉  文政6年(1823)

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 左手で裏桜(うらざくら)模様のべっ甲簪を手に持ってじっと見ているのは、洗い髪の粋な三味線の師匠であろうか。風呂上りかもしれない。右手で持っているのは鏡箱で、櫛や櫛払い〔櫛の垢を取り去るのに用いる刷毛〕などが乗せてある。
 長く後ろで束ねた黒髪。結び目に見えるのは新藁(しんわら)かもしれない。湿った髪に元結を結ぶと、元結の糊が付いてしまうので、何本か束ねた新藁をつかうことがあった。前髪は短く切り、お歯黒をしている。ちなみに、高位の遊女はお歯黒をすることがあるが、基本的に芸者はお歯黒をしない。となると、新内節を語る三味線の師匠と考えられるのである。
 下唇は、文政6年頃に流行していた笹色紅をしている。これから、髪を結い上げて貰うのであろう。髪飾りは、手にもっているべっ甲の簪を使うのかもしれない。着物の模様は、裏梅鉢(うらうめばち)で、肩に掛かけている布は手拭である。この女性の好みなのか、それとも溪斎英泉の好みなのか、桜も梅も裏から見た花模様になっている。
 左上に見えているのは、三味線の撥(ばち)で、その下にあるのは撥袋であろう。なにやら書かれている書物は「鶴賀」という文字が見えている。新内節で有名だった初世鶴賀若狭掾のことかもしれない。また「浦里時次郎」と書かれているので、初世鶴賀若狭掾作詞・作曲した「明烏夢泡雪(あけからすゆめあわゆき)」の節が書かれてであろう。浦里時次郎の情話で、退廃的な郭模様を描写したものである。どんな声で新内を歌い、どんな三味線の音色だったのか、一度聞いてみたい気がする。


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