第8回 女子の元服は羞恥心とのせめぎ合い

 「元服」現代では聞き慣れない言葉です。しかも男子だけの風習かと思っていましたが、江戸時代の女子にも行われていた通過儀礼だったようです。男子の場合、15歳くらいになると大人の髪型であるちょんまげにして、幼名を元服名に変え、大人として扱われて両親の仕事を手伝うようになります。当時の男子は精神的に大人で、中二病などなかったことでしょう。
 女子の場合の元服は、髪型を丸マゲにして、「鉄漿(かね)始め」と称してお歯黒を付け、眉を剃ります。
 年代と地域によって、結婚してからお歯黒と眉剃りをする場合もありますが、江戸時代の庶民の子女は元服の時に歯を黒く染めるケースも多くあったようです。
 大人の印としておめでたいこととはいえ、ルックス的にかなりホラーテイストになってしまいますが、当時の女子は受け入れていたのでしょうか。虫歯予防にもなったそうですが......。でも虫歯になっても歯全体が黒かったら歯医者も見つけようがないです。
 お歯黒についての川柳も残っています。
「元服の鏡へうつる母の顔」
「鉄漿初めのかがみのおくに母の顔」
と、母が娘の成長を見つめて感無量な様子が伝わってきます。
「七所に金主のできる恥しさ」
「貰いあつるてくっつける恥しさ」
 鉄漿を付けるときは七カ所から鉄漿水をもらってくるしきたりがありました。隣近所とは疎遠の現代では難易度が高いしきたりです。鉄漿汁をくれた女性が「鉄漿親」となります。人生の先輩として相談に乗ってくれたりするのでしょうか。
「はんぞうで墨染めをする恥しさ」
「はんぞうをかかへて娘はちぢこまり」
「真っ黒なぶくぶくをするはずかしさ」(ぶくぶくはうがいのこと)
「はずかしさ渋うい粉を初になめ」
「きのふ迄白いやうじが黒く也」
「はづかしさぐわらっと相が変る也」
 恥ずかしいという句がやたら多いですが、当時の女子もこの風習に一抹の違和感を覚えていたのでしょう。
 歯が染まったら、鉄漿親のところにお礼に赴きます。
「鉄漿の礼さしうつむいて言葉なし」
「口びるがはれたと袖を取て見せ」
「かね親ははれるものさと落着かせ」
 変わってしまった外見が恥ずかしくて口を隠したり唇が腫れたり......。酷な風習です。
 さらに眉も剃らなければなりません。半元服でお歯黒、元服として眉剃りという二段階になっていました。
「元服を女はちびりちびりする」
「おしそうに娘ひたいを二つなで」
「目の上をゾリゾリゾリとはづかしさ」
「惜しい事袖とひたいに刃物也」
 眉を剃り落すのには勇気がいります。そして振り袖も短い留袖に。ファストファッションを10代も30代も着る現代とは全然違い、年相応の姿になることが求められる江戸時代。大人としての自覚を芽生えさせる意味では良いことかもしれません。
 現代における元服的な行為は何に当たるのでしょう。女子の場合、ブラを付ける、ストッキングをはく、アイラインを引く、など考えられます。今思えばプチ元服の瞬間、もっと大切にしたかったです。
「ひそめるものをそり落すおしい事」
 眉を剃ると表情もわかりにくくなってしまいます。眉といえば上げ下げで威圧感を与え、人をコントロールもできる部位です。そんな眉のテクニックを使わず、江戸時代の女性は従順に生きていくことを求められていたのかもしれません。成人すれば眉を書いても良い場合もあったそうですが......。
「元服に悔みをのべる娘同士」
と、切なさが漂う川柳も。少女時代への決別が早すぎます。現代の、40代にもなって大人女子とか言っている私たちを、ご先祖様はどう見ていらっしゃるのでしょう。
 そして何よりすごいのは、お歯黒&眉剃り状態の女子に性欲を感じられる江戸時代の男子です。江戸男子、実は女性の見た目に寛容だったのかもしれません。


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