江戸時代の親は子どもにどんな習い事をさせていたのでしょう。過去をひもとく前に、2014年の子どもの習い事ランキング(ケイコとマナブ.net)を見たら、1位は水泳、2位は英語・英会話、3位は学習塾・幼児教室、そして4位に来てピアノ、と実用性重視な傾向でした。数十年前はとりあえず女子はピアノを習わせられていたように思います。全く才能がないのを自分でもわかっているのに、毎週怖い先生のところに通うのが苦痛だった記憶がよみがえります。あとは算盤や習字、公文もメジャーでした。公文に通うと、部屋を提供して採点するだけの公文の先生が子ども心にラクな仕事に見えて、羨ましかった記憶が......向学心や覇気もない子ども時代でした。
昭和のピアノ、に該当するのが、江戸の三味線です。とくに関東圏では盛んに女児に習わせていました。庶民でも一芸に秀でることで、武家に嫁げたり良縁のきっかけになると思われていたようです。今、三味線が弾けたら、おっ、と思われるかもしれませんが、それだけで、結婚とは結びつかないでしょう......。
「岡さきをへんな調子でひいて居る」
「指をよく見やとおかざき師匠ひき」
「岡崎を子の弾く程は乳母もひき」
「おかさきを暗闇でひく御上達」
初習いには「岡崎」という小唄が用いられたそうです。ピアノでいう「エリーゼのために」みたいなものでしょうか。これだけ川柳に出てくるので、当時の人はすぐにメロディが脳内再生されるほど一般的だったのだと推察します。
また、上品な琴に比べて、三味線はちょっと色気付いた習い事だったようです。
「さらひ手の多いは稽古所の娘」
というのは、三味線を習う女子は誘惑が多い、という意の川柳。持っているだけで女度が上がるモテ楽器です。「おこと教室」を「おとこ教室」と見間違えがちなので、言霊的にてっきりお琴の方がモテると思っていました......。
「三味の弟子どぬかったのに供が付き」
「どぬかる」というのは今でいうブスという意味らしいです。語感からしてブスです。見た目がいまいちでも、三味線を習っていると男子をはべらせられるとは......。三味線の音色に魔力が宿っているのでしょうか。三味線の皮はかつて猫の皮が用いられていたので、もしかしたら猫の魔性かもしれません。
「岡崎を八つ乳でひいてしかられる」
「八つ有乳は張度たんと出る」
八つ乳というのは、猫の四つの乳のある皮を表裏に張った三味線だそうです。猫好きとしては涙なくしては読めません......。
いっぽう、琴は三味線より格式の高い家の娘が習う傾向にありました。免許を取るのにも金銀何分かと費用が定められて、相当お金がかかっていたようです。
「此町のゑいゆふ琴の師がかよひ」
英雄家とは公家を表しています。セレブな家庭の習い事。現代のバイオリンかもしれません。
「九尺店琴を習わせそねまれる」
狭い長屋でお琴を習わせていると嫉妬の対象になってしまいます。また、琴は古式ゆかしいからか古くさいとも思われていました。
「琴の弟子壱人もいきな形りはなし」
つまり、琴を習っている人は皆ダサい、というかなり乱暴で辛口な川柳。
「琴を習ふは娘でも浅黄裏」
浅黄裏は、田舎っぽいとか野暮という意味合いがありました。正直、これらの句は庶民の嫉妬な気が......。現代人がSNSに書き込んで憂さ晴らしするように、江戸時代は川柳で発散していたのでしょう。
また、当時は「労咳」という謎の病気がありました。二十歳前後、性的欲求不満がたまると、食欲が減退し変な咳が出る症状があったそうです。
「琴の音も止んで格子でわるい咳」
「琴に三味引きかへ娘快気なり」
琴を習っているだけではなかなか咳が治まらず、でも三味線を弾いたら治ったという事例もあったとか。三味線の音色で陽気になり、鬱が改善されるという説もあるので、三味線の健康効果が気になるところです(やはり猫の霊験......)。
楽器以外の習い事では、「手習い」も人気でした。子どもたちは七、八歳になると寺子屋に行き、読み書きを習いました。寺入りは毎年二月の「初牛の日」と決まっていたようです。
「初牛の弟子に四角な顔ハ無し」
新入生は皆あどけない丸顔でした。ほほえましい光景です。
「初牛に七千両の手をもらひ」
というのは、「いろはにほへと」の一文字一文字に千両の価値がある、という意味。日本語を大切にしていた当時の人々の姿勢に背筋が伸びる思いです。
寺子屋で一日の勉学時間は六時間程度。八ツ時(二時半)が下校時間でした。
「八ツの耳ふり立てて聞く手習い子」
「手習いの跡ハ野分の八ツ下り」
早く勉強から解放されたい気持ちは当時も今も変わりません。教室から飛び出た子どもたちが走って帰途につく光景が目に浮かびます。
また、「素養」として「源氏物語」や「伊勢物語」「蜻蛉日記」なども読むことを推奨されていました。清少納言の「枕草子」をもじり、「まくらぞうし」という性教育の艶本もあったそうです。嫁入り前の性教育として使われていました。「枕」には今も昔もエロい意味があったんですね。
それでも新刊を買えるのは裕福な家の子女で、一般人は貸本屋を利用していました。
「清少納言おん筆と貸本屋」
「貸本にくすんだ娘入あげる」
本にハマりすぎて家に閉じこもりがちの娘がモッサリしてゆき縁遠くなる、みたいなシビアな内容でしょうか。今のこじらせ系というべきか、本の世界に没頭するあまり「労咳」が重症化する女子も。
「源氏もちっと解て来て病出し」
「若菜の巻を読みかけて床に付き」
「関屋の巻をよみかけて灸を据え」
「十九帖目を読みかけて床につき」
そしてついに......
「二十冊たらず読本かたみ也」
二十冊目に行く前に死んでしまいました......(合掌)。この数字は、十九歳の女子の厄年も暗示しています。江戸時代の文化系女子に、こんな呪いがかけられていたとは......。恋愛小説に夢中になりすぎると、それで満足してしまって現実の恋愛や結婚がおろそかになってしまいます。そんな脅しの意味もあったのでしょう。時を超え、小説でも漫画でもネットでもハマり放題の現代人への警告もはらんでいるようです。