2015年1月アーカイブ

 性愛文化が発展していた江戸時代。今でいうバイアグラ的な強壮剤もさかんに開発されていました。「秘薬秘具事典」(三樹書房/ 渡辺信一郎著)には、さまざまな秘薬が収録されています。今回はそちらから、男性向けの内服薬を川柳とともに紹介したいと思います。
 内服薬として筆頭に挙げられるのが膃肭臍(オットセイ)です。オットセイはアシカやトドより名前の語感や字面からしてエロい印象。戦国時代には徳川家康も服用し、強壮パワーで天下統一&子孫繁栄を成し遂げたくらい強力な薬です。江戸時代にはこのオットセイの外腎と臍を切り取って薬用としていました。陰茎や睾丸を乾燥させることも。オットセイは、一頭が数百頭のメスをはべらせていることもあるそうで、「腎張り」の象徴として男性の夢を体現していました。「腎張り」とは多淫で絶倫という意味で、その逆の虚弱な人を腎虚と言いました。漢方薬局でたまに目にする単語です。
「腎張りはおっとせいほど連れ歩き」という直球な内容の川柳が残っています。オットセイと漢方を混ぜて作った「一粒金丹」は、10日~15日置きに一粒飲むことで効果を発揮したそうで、一錠1500円のバイアグラよりもかなり安上がりです。
 「サンショウウオ」「オオサンショウウオ」も強精薬として使われました。体を半分に切ると自力で再生し元通りになる生命力の強さから、精力アップ効果が期待されていました。食べると高まって鼻血が出てくることもあるとか。今は絶滅の危機も囁かれているサンショウウオ。日本男児の精力の象徴だと思うと、国家の未来が心配です。
 いっぽう植物性の強壮薬もありました。「黄精」は野草のエミグサ、ナルコユリの根や苗を煎じて服用するもの。エミグサは今はボタンヅルと呼ばれ、ナルコユリは普通にガーデニングが好きな人が育てていたりするようです。
「切見世へ黄精売りは引き込まれ」という川柳があります。
 切見世は「ちょんの間」的な、簡易な売春宿。行商の男性が、ふらふらと娼婦のもとへ引き寄せられる様子が描かれています。美容と健康に効く「黄精」は娼婦にとっても人気商品だったようです。
 そして誰よりも「黄精」を活用していたと思われるのが小林一茶でした。一茶というとカエルやスズメが出てくる牧歌的な句を詠んだ、いい具合に枯れている男性というイメージがありますが、五十二歳でやっと結婚してからは激しい夜の夫婦生活を送っていたようです。一晩三回とか五回という日も......。五十代でこの絶倫ぶりを可能にしたのは「黄精」の薬効。妻が妊娠中も、自身が脳卒中で半身不随になっても、彼の性欲は尽きることがありませんでした......。
 化学的に合成された薬よりも、自然由来のものの方が効果が長く持続するのかもしれません。とはいえオットセイやサンショウウオを捕まえるのは現代においてはほぼ不可能ですか......。やはり江戸時代は恵まれた性生活だったと先祖に思いを馳せずにはいられません。

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 今回は、いずれも江戸時代の女性が入浴した後の様子である。湯上りの姿は、緊張感もなく、無防備で女性らしさがよく出ている。当時、どのようなものを使って洗顔などをしていたのか、見てみよう。

3、「娘日時計 午ノ刻」喜多川歌麿 寛政6年~寛政7年頃 (太田記念美術館蔵)
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 右手に持った手拭で、襟足を拭いている女性と、右で手拭を絞っている女性、いずれも湯上りである。左の貝髷に赤い格子模様の着物を着ている女性は中着、下着にも黒襟を付け、三枚重ねにしている。左腕に持っているのは麻地模様の浴衣で、今のバスタオルのように、湯上りに使用した。また、右の女性は、燈籠鬢に大きな勝山髷を結っている。鬢のところを紐で括っているのは、お風呂に入っても燈籠鬢が崩れないようにしたもの。前髪のところに櫛や簪を挿しているので、湯上りだということが分かる。口に銜えているのは、糠袋で、石鹸のない時代、糠が石鹸代わりだった。自宅でも使ったが、お風呂屋にも糠は売っていたので、袋だけ持っていけばよかった。春信や歌麿、英泉、国貞などが描いた美人画などにも、この糠袋を手拭の先に括り付けた様子が描かれている。この糠袋を一名紅葉袋(もみじぶくろ)ともいった。糠は1回限りで、使ったあとは捨てたのである。糠の酸価(油脂の斎整よび変質の指標となる数値)が増加することに関係があり、肌膚に良かったものが、次の日には成分が変化して、肌膚を荒らすとこともあったらしい。
 浮世絵の中には、お風呂屋で糠を捨てている様子が描かれたものもある。肌膚をきれいにすることも江戸時代の女性にとっては、大事なことで、いかに自分を美しく見せるかは、糠袋にかかっていたのかもしれない。

4、「浴後美人図」歌川国芳 弘化~嘉永頃 (太田記念美術館蔵)
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 肌膚の白さが際立っている。風呂上り直後であろう。藍一色の大きな蛤が描かれた浴衣を左の肩にひっかけ、今にも落ちそうな様子である。顔も白く描かれているが、たぶん湯気などで上気しているところに、風をうけているところかもしれない。島田髷に結った髪のほつれが色っぽく、額の生え際や襟足の髪がまだ濡れているのであろう。白い腕や胸、腹部のふくらみには弾力があり、若さと、あやうい色っぽさで溢れている。
 縁側なのであろう。夏の風物詩の釣忍に燕がとまっている。縁側と背景の色が同じに描かれているが、肌膚の白さを演出するには効果的で、ちらっと見えている下着の赤が印象的である。


※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。

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 自宅から最寄りの駅までの道の途中に、小さな公園がある。けやきのほかに何本かある大きな松の木の存在が際立っている。東京の公園で松の木を見ることはあまりないと思う。しかもすくすくと真っ直ぐに天に向かって伸びている。そこがどのようにして公園になったのかわからないが、世田谷区では最初の公園であると入口に書いてある。  

 公園の入り口は二箇所ある、とはいっても柵などはないから、開放的だし、トイレはあるし、松の木は晴れた日ならいつも影を作ってくれるので、タクシーの運ちゃんたちには知られた居眠り場所であるらしく、特に暑い夏の日の午後には、複数の人が運転席の背もたれを倒し、エアコンを盛大にかけたままで熟睡しておられるのを見ることができる。  

 遅めの午後にここを通る。入り口に3つほど置かれている車止めのようなまあるい石に腰をおろして、おばあさんたちがたむろっている。その定期的集まりの中心にいるのは一人のおばあさんと彼女が飼っている犬だ。公園は散歩の途中の休憩場所らしい。犬はおばあさんと同じ年頃の柴犬で、たいてい腹を地面につけて、寝そべっている。お疲れなのか、リラックスしているのか、きっとその両方なのだろう。いつも落ち着いている。わたしは道を歩いているので、観察出来るのはせいぜい十秒くらいだが、十秒の回数を重ねるうちに、集まっておしゃべりしているのは決まったメンバーだということもわかってきた。たまにやはり犬を連れた人が加わっていることもあるが、犬はそれぞれそっぽを向いていて、互いに興味はないようだ。自分は目の前にいる犬よりも人間に近いと思っているのだろうか。  

 ある日、公園を通り過ぎてから、向こうから公園に向かって歩いてくるおばあさんとその柴犬とすれ違うことになった。おばあさんはずっと犬になにか話しかけている。あちらは私のことは知らないが、こちらはよく知っている。歩いている一人と一匹を正面から見ると、年齢(つまりは歩く速度や歩きかた)といい、姿(肥満体!)といい、顔つきといい、そっくりで目をそらすことが出来ないのだった。いくら悪気はないといったって、ジロジロと見て笑ったりしたら失礼だとは思うけれど、そうなってしまう。のっそりと威厳のある犬とのっそりと世話好きなおばあさん。長い時間をいっしょに過ごすうちにおばあさんのほうが犬に似てきたということは、見ればわかる。犬と人間では老化の速度が違うから、いまはちょうど同じ年頃だとしても、これからは犬に追い抜かれるのだなと、ふと思う。  

 水野仙子の「犬の威厳」は1914年に書かれた短い話だ。よしのさんという女性が、自分の夫に始まってありとあらゆる男ついて語る。  
「私は良人を崇拜してゐてよ、また愛してもゐるわ。」「それだのにたつた一つ私に滿足されないあるものがあるやうなの。」「それはそもそも私があの人を見はじめた時から、私の心はすつかりあの人の持つてゐるもので滿足してしまひながら、それでもなほどつかに、あるもの足らなさが潛んでゐたんです。」「だけど、それは良人にばかし懷く私の心持ぢやないんですの。世の中のありとあらゆる――少くも私の見たかぎりの男に、私はいつもその物足らなさを味はゝされてゐるわ。あ、この人だと一目で思はれるやうな男に、私はまだ一度だつて半度だつて出つくわしたことがないんだもの。」  

 よしのさんは話しているうちに気づく。ずいぶん前のこと、血のように燃えて輝く夕日が落ちていくとき、そのあたりにいた人間はみなうろうろとして見すぼらしく貧弱だった。そこで偶然に出会った大きな黒い犬は凛として威厳があったのだ、と。「それは犬なんですよ。犬の威嚴だつたのよ!」そして犬の威厳は犬だけのものであり、それを人間の男に求めても無理というものではないか。「あゝ、解つてみりあばかばかしい、ほんとにばかばかしいつたらありやしない!」  

 水野仙子は1888年に生まれ、1919年に28歳で死んだ。田山花袋の内弟子となり、1911年には「青鞜」に加わった。「犬の威厳」はユーモラスなコントというものだけれど、青鞜への方向性ははっきりとわかるし、いまも古びていない。青空文庫で初めて読んだ。  

 このごろの犬は人間に繋げられていなくては散歩も出来ないし、おしっこをしたらすぐに水をかけられてしまう。犬だってひとりで好きなようにふらふらしてこそ本来の威厳をとり戻すのではないかしら。そうでなくては『大菩薩峠』のムクのような、忠実で賢くて、人間を超えた犬であり、犬らしい犬、のようになれないのはもちろんのこと、人間と出合うおもしろさもないと思う。  

 僕の前には白犬が一匹、尻を振り振り歩いて行つた。僕はその犬の睾丸(かうぐわん)を見、薄赤い色に冷たさを感じた。犬はその路の曲り角(かど)へ来ると、急に僕をふり返つた。それから確かににやりと笑つた。 (「鵠沼雑記」芥川龍之介)  

 にやりと笑った白犬は誰かに飼われていたのかもしれないが、ペットと呼ぶことはできない。当時の日本語にそんな単語はまだなかったはずだ。一人と一匹は、そのとき目の前にいる生き物として完全に対等で、そうでなければこの不思議な空間は成り立たない。  

 いつもの公園でおばあさんがひとりぽっちで入り口の石に腰掛けているのを見たときには、犬、死んじゃったのかなと心配した。その次に見たときには、犬もいっしょにいたので安心した。公園の横の道を歩く十秒に彼らがいれば、十秒だけ一方的にいっしょに生きている。


  犬 八木重吉  
 
 もじゃもじゃの 犬が  
 桃子の  
 うんこを くってしまった  (「貧しき信徒」より)

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