江戸時代の人の生死は月の満ち引きと密接にかかわり合っていたようです。現代人のように、陣痛促進とか延命処置をせず、自然と一体化していたのでしょうか。人間の体液の成分は海水の構造と似ていて、人は満潮の時に生まれ、引き潮の時にこの世を去る......。いきなりしめやかな話題ですが『川柳江戸 女の一生』(渡辺信一郎著)の第一章は誕生にまつわる川柳からはじまります。
「引潮は水さし潮は湯のたらい」
水さしは末期の水のためのもので、たらいは産湯です。死と生の情景を合体させた力技にドキッとします。
「さし潮も引潮もまた穴を掘り」
こちらの句も、後産の胞衣(胎盤)を埋める穴と埋葬用の穴について詠んだ、生と死についての句。今は病院で出産すると胎盤はそのまま処分されたり業者が持っていってしまうようです。江戸時代は吉方位に埋めて魔除けパワーを得ていました。そのような風習が失われてしまったことに一抹の懸念が......。もしちゃんと胞衣を埋めていたら、災いが軽減され、もっと人生はラクだったのかもしれません。
「胞衣を納めたついでに桐を植え」
地方によっては胞衣を埋めて目印に木を植えていたようです。女児の場合は桐を植え、その子が成人して嫁入りする時に育った桐で箪笥と長持を作って持たせるという素敵な風習も。胞衣の養分を吸って育った桐が箪笥に姿を変えて、その女性の一生を見守る......。江戸川柳は失われた文化遺産の宝庫です。多分、それなりに庭がある家じゃないとできないので、この句は裕福な家だとさり気なく自慢しているのかもしれません。
「似首をしゃぶるが乳の呑みはじめ」
「まくりから飲みはじめたる江戸の水」
こちらも今はない習慣で、まくり、別名海仁草と呼ばれる草を解毒剤として布に包んで赤子にしゃぶらせていたようです。味はいまいちですが虫下しの効果もあったとか。現代の赤ちゃんは予防接種まみれと聞きますが、まずい草の汁をしゃぶるのとどちらが良いのか、悩むところです。
百日目に行われる宮参りについての句もいくつかあります。
「人間の巣立ちなるべし宮参り」
「人間の開眼をする宮参り」
宮参りは今も行われていますが、江戸時代は富裕層は乳母がいるのがふつうで、宮参りも乳母が抱いていました。
「付紐で乳母をからげる宮参り」
「宮参りうばをしばったやうに見へ」
からげるとかしばるとか、乳母さんやられたい放題です。乳母という存在は家庭の中でスケーブゴートみたいな役割だったのでしょうか。それとも被虐プレイの対象として性的願望を抱かれていたのか......。
「喰ざめに乳母はぶさまな横坐り」
なんて句もあります。赤子を膝において食べさせてあげている姿をぶざまとまで言われて気の毒になってきました。
「鶴の椀乳母はそばから餌をひろひ」
「鶴も居る亀も居るしと乳母はほめ」
鶴と亀の絵入りのお椀からお食い初めする風習があったのでしょうか。乳母の献身的な姿が垣間みられます。縛られたりなじられてもかいがいしく働く乳母の存在は貴重です。現代にも制度を復活させてほしいです。
とはいえ赤子が一番必要としているのは実の母親です。
「母のゑくぼをつついて乳をのみ」
「片乳房にぎるが欲の出来はじめ」
などの句からは、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを求める姿が浮かんできます。
「乳を飲む子を笑はせて歯をかぞへ」
という句は心温まります。乳幼児死亡率が高かった江戸時代は、日常の幸せな一瞬を大切にしていたのかもしれません。当時ののっぺりした絵からはわかりませんが、現代人より感情表現がエモーショナルだったのでしょう。江戸時代の女の一生を疑似体験することで人間らしさを取り戻したいです。